2004年09月27日

この街に--都心にて--

「なんかこう、この匂いは懐かしい気分にさせられますね。」

プラスチックのカップを片手にオフィスビルの小さなベランダ状の避難スペースで
壁に凭れてケイは目の前の新しい上司に声を掛けた。
そこから見えるのは草臥れたような古いビルと色褪せた煉瓦造りの高架橋。
その男は「ん、煙草の煙がか?」と言いながらこれ見よがしに煙草をふかした。
「んなわけないでしょ。この町の空気って言うかな、雰囲気がね。」
「別に美味い空気だとは思わないけどなぁ。部屋の中の方が落ちつくだろうに。」
「いや、まだ中の空気に馴染めてなくてね。この界隈には縁はないけど、
この街はやっぱり同じ空気を感じるもんで。」
「この街に住んだことはないんだろ?」
「産まれたのはこの街だし、最初に働いていたのもこの街なんでね。」
「そうなのか。そう言えば昔の話は聞いてないな。」
「そりゃぁ、誰にでも話すわけじゃぁないんでね。その頃はあの街に住んで
この街で働いていた。つい先週まではあの街で働いていた。
そして再びこの街で働くことになった。私にとっちゃ、狭いあの街よりも
この街の方がよっぽど居心地がいいって言うか、そんな感じでね。」
「君にとっては新天地ではないってことかな?」
「ある意味ではそうですね。今はあの街でもこの街でもない山の中に
住んでるわけですが、電車で一本だし寧ろ帰ってきた気分、かな。」
「俺には判らんなぁ。こんな大きな街なんか、人間の居るところじゃぁ
ないとさえ思っちまうけどな。」
目の前を走る長距離列車を目で追いながらその上司は大きく煙を吐き出す。
「それこそ、アレに乗って帰りたくなりましたか?」とケイは混ぜ返してから、
コーヒーを飲み干して「私はこの街の人間だってことですよ」と応える。
「いずれにしても、この街が俺達の舞台だ」煙草を吸殻入れに放りこみながら
そう言う上司にドアを開けてやりながら、「ですね、それじゃ、行きますか」
そう応えたケイの顔には、もう迷いは見られなかった。
--
2002/5頃に書いた連作三話のうちの第二話。
「ケイの迷い」ってなんだったんでしょうか、書かれてませんねぇ。

第一話:http://foxes-nest.seesaa.net/article/677012.html
第二話:http://foxes-nest.seesaa.net/article/679026.html
第三話:http://foxes-nest.seesaa.net/article/728398.html
posted by 性悪狐 at 00:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | SS
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